田淵 光一(たぶち こういち、1900年(明治33年)2月3日 – 1972年(昭和47年)5月3日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。「田渕」と表記される場合がある。

経歴

和歌山県有田郡、のちの金屋町(現有田川町)で生まれた。法政大学専門部法律科で学んだが、関東大震災で負傷し中退した。

1937年(昭和12年)日本林産鉱業取締役社長、1938年(昭和13年)明治採炭鉱業社長にそれぞれ就任し、1942年(昭和17年)から三重県、奈良県で亜炭鉱山上野炭鉱などを経営した。その他、奈良県亜炭鉱業会長、近畿亜炭鉱業会理事、全国亜炭鉱業連合会常任理事、奈良県亜炭協同組合理事長、石炭増産協力会推進専門委員、全国亜炭産業会総務理事、全国亜炭協会長、国際化成社長、伊賀窯業取締役などを務めた。

1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で和歌山県第2区から民主自由党公認で出馬して当選。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙では落選し、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙では当選し、衆議院議員に通算2期在任した。この間、衆議院水産委員長、自由党人事副部長、同党務副部長、同遊説副部長、同総務などを務めた。その後、第27回、第28回、第29回総選挙に立候補したがいずれも落選した。

脚註

参考文献

  • 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。

田淵幸一

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