荒尾 成尚(あらお なりなお)は、江戸時代後期の鳥取藩家老。米子荒尾家8代。

経歴

明和3年(1766年)、鳥取藩家老荒尾成煕の長男として生まれる。

天明7年(1787年)9月、成熙の死去により家督相続し、米子城代となる。寛政元年(1793年)3月、幕府巡見使(石尾七郎兵衛、花房佐五郎、小浜平太夫)が米子を通過することなり、米子入りしてその供応にあたった。。

寛政6年(1794年)2月、岡山藩家老池田政喬の娘と結婚する。同年12月、御職家老(執政家老)となる。寛政7年(1795年)7月、嫡男の駒之助(成緒)が誕生する。寛政8年(1800年)、御根取となる。

寛政12年(1800年)2月、藩主池田斉邦が将軍徳川家斉の面前で元服した際に、ともに登城し将軍に拝謁する。文化4年(1807年)8月、藩主斉邦死去により江戸に出府する。10月、新藩主となった斉稷が将軍家斉の面前で元服した際、ともに登城し将軍に拝謁する。

文政元年(1818年)8月、隠居して家督を成緒に譲る。文政6年(1823年)1月2日死去、享年57。

脚注

参考文献

  • 『因府年表』

関連項目

  • 自分手政治

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成尚荣:江苏省教育科学研究所所长北京国培京师教育科学研究院

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